タルパ憑依メモ

※5年位前に書いた走り書きのメモなので支離滅裂な文章になっていますがご了承ください。

農耕社会では中央集権的、二元論的な世界観が顕著で祭司と憑依型のシャーマンに分かれる。
言語を超越した何かを現実の枠組みで解釈。
体験自体は純粋な何かだが、現実の言葉で解釈する事で体系となる。
解釈主導となると、祭司主導の宗教となる。祭司の活動は文化的に伝承される伝統に基づくがシャーマンにおいては私的な直接経験。
祭司とシャーマンの分化が見られる社会では祭司は男性が独占、シャーマンは女性。脱魂でなく憑依主体。彼女らは他界的存在になる。

ヒンドゥーはオルギア的エクスタシス的なものを排除しつつ内包する体系だが、ヘブライの社会では憑依型シャーマニズムは厳しく弾圧された。
旧約のレビ記には男または女で口寄せあるいは占いをする者は必ず殺されなければならないとある。
タルパがダイブと憑依とを掲げているのは狩猟文化ベースの西洋的シャーマニズムと農耕文化ベースの東洋的シャーマニズムの融合ともいえる。

他界的なリアリティは一般に無時間的なもので、時間が流れているという観念の働きが停止すると意識状態が変化し、今しか存在せずあるいは現在に永遠の過去から永遠の未来までが畳み込まれたような時間だけが経験される。

シャーマンは北東アジアのツングース語に由来。修験では神が降りる事を座が立つと言われる。

ボン教では神がかりを伝統的に行って来た。憑依と観想法を異なるものとゲルク派はみなしている。

タルパでいわれる憑依は観想法に近い方向であれば密教的であるといえる。
精神の領域に何かが割り込まれるような神がかりの憑依はシャーマン的である。しかし神がかり的な憑依であっても本人の人格が完全に追い出される訳ではない。
記憶の欠落を伴うような意識の統御を欠いた憑依現象は、神秘現象というより病理として考えるべきであろう。

ローケーシュチャンドラ氏は観想法は身体のメカニズムの調和を破るものだと言っていたらしい。

タルパは既存の霊ではなく、タルパ憑依はエクスタシィを得るものでもなく、また憑霊現象の躍動型、問答型、託宣型、その他の分類にも収まらないものについては、以下のような仮説が立てられる。
自分の行動パターンにタルパというタグを与えてテンプレート化し、主人格の統御は維持したままの状態でテンプレートの行動をトレースする。どちらかというと演劇で役に入り切ったり、武術の型稽古を通じて先人の行動パターンを自動的に発動出来るように馴染ませたりするようなものに近いといえる。

密教の我生起(成就法、入我我入)→タルパ憑依、密教の眼前生起→タルパのビジョン化

コメント

タイトルとURLをコピーしました